〔鹿児島黒川洞穴〕悠久のときを醸し出す黒川洞穴
〔鹿児島黒川洞穴〕悠久のときを醸し出す黒川洞穴
鹿児島御朱印巡り、今回は 久しぶりに日置市方面にお出かけしたので 30年ぶりくらいに立ち寄った パワースポットでも有名な黒川洞穴です。(*^-^)
実は こちらの 黒川洞穴、鹿児島県日置市にあるのですが、30年前に一度 職場の人と来たことがあるのです。その時は 小さな川が流れていて 5月か6月くらいにホタルがいて きれいだというので 夜 19時をちょっと過ぎたくらいの真っ暗の中、
来た記憶があります。
鳥居
鳥居です。約30年ぶりに訪れたのですけど、当時には こんなに立派な鳥居はなかったです。びっくりしました。
鳥居をくぐり 洞穴に向かいます。
昔来た時は 真っ暗で あまり記憶はないのですが、こんなに舗装された道ではなかったと思います。
これが、ホタルがいるという川です。橋もできていて 歩きやすくなっていました。今も居るのかは不明です。
黒川洞穴歩道橋補修
悠久のときを醸し出す黒川洞穴は、穴場スポットとして 全国に知られ、訪れる方々が絶えません。
歩道橋は筑後約25年経って老朽化が激しく、迷惑をかける状況でしたが、この度、大福コンサルタント㈱社長福田光一様より歩道橋補修工事に対し、深いご理解のもと 多額のご寄付を賜りました。
数千年の時を経て現在につながっているこの黒川洞穴を今後とも見守ることを誓い、後世に引き継がれ地域発展につなげてまいりたいと思います。
福田社長をはじめ、工事にご尽力してくださった方々に感謝の意を込めてここに歩道橋補修の意義をしたためて記といたします。
看板より
橋の高さは これくらいです。私は 高所恐怖症なので これくらいの高さでも 十分怖かったです。Σ(|||▽||| ) 途中からは 急いで小走りで 渡りました。
橋を渡り終わり 坂道が続きます。ここまで来ても 当時の記憶がほとんどありません。夜で 真っ暗だったということもありますが、手すりなどもない 獣道だったような感じなのですが、あとどれくらいで 到着するのかもわからず、少し不安になって来ました。( ̄▽ ̄;)
仁王像?
橋を渡り終え 時間がかかるだろうと思っていたら 思っていたより すぐでした。
吽像?
吽像?ですかね?
阿像?
阿像?です。どれくらい前のものか わかりませんが、歴史を感じました。
潮浜参り
鹿児島県日置市吹上町には 潮浜参りという風習があります。
この貝に盛られた砂は、初詣の時、吹上浜で波打ち際の砂を山盛りし、四方拝後、波で崩れたあとの濡れた砂を、浜辺にある、赤貝(オトッゲ)に盛り奉納されたものです。これは、古事記にある、「火もちて猪に似たる大き石を焼きて転ばし落としき・・・その石に焼き著かえて死にき。・・・刮貝比売(赤貝)きさげ集めて、蛤貝比売(蛤)待ち承けて、母の乳汁と塗りしかば、麗しき壮夫に成りて、出で遊行びき。」という大汝牟遅の神様と、兄神様等の八十神様にちなんでの事とされます。
即ち、赤貝の殻の粉を、蛤の出す汁で溶いて、母乳状の液体として塗ったところ蘇生されたので、赤貝に濡れた砂を盛り供え、神様の御神霊を慰め若返っていただき、更に神様の御活躍を願い、御神徳を戴くためです(貝殻の粉を水で練って火傷に塗る民間療法や、母親が子供の傷に乳汁や唾を塗る習慣は今でも残っています)。
この風習は、県外はもとより他の市町村でも見られない、吹上地方独自のものです。
尚、この風習は往古より次々と受け継がれてきたもので資料はなく、その起源は不詳であります。
大汝牟遅神社境内にある看板より
洞穴が見えて来ました。もう少しです。
あれが、黒川洞穴です。
妖怪ポスト?のようなものがありました。中には 訪れた方の芳名帳が 入っていました。
洞穴
こちらが 洞穴です。30年前は 手前の柵などもなかったと 思うのですが、きれいに整備されていました。落石の危険のため 中までは行けませんでしたが、空気、雰囲気が違い 清々しい気持ちになれ、静かで 時の流れが止まったような感じがしました。
寄せれるだけよせて 写真を撮ってみました。
縄文時代から平安時代にいたるまでの長期間使用された巨大な洞穴。黒川式と名づけられた土器や石器等の道具類、大量の貝殻、動物の骨が発見された。また、約3000年前とされる埋葬された女性の骨も発見された。
ここ すごく居心地がよかったです。しばらく・・・20分くらいですかね。1人で黙ってじっとしていました。癒されました。\(*T▽T*)/ワーイ♪
梅の花が一輪だけ咲いていました。
水仙の花も きれいでした。
駐車場
広い駐車場もあります。
情報
鹿児島県日置市吹上町永吉